所長コラム


研究所所長 野口哲夫 のコラムをお届けします。

住まい・家族(4)

袖井孝子さんの講演録(141114しんぶん赤旗)から抜粋させていただきます。袖井さんは、シニア社会学会会長・お茶の水女子大学名誉教授です。

1980年以降、「家族の個人化と個室化が進みました。」90年代からは、未婚や晩婚、離別による単身世帯が増えてきました。「ひとりでも暮らせる住宅と住環境」が課題となっています。高齢の単身世帯が増え、近年問題となっているのが、孤独死・孤立死です。

(そこで)シェアハウスは、高齢者の持ち家がやがて空き家となって放置される問題の一つの解決策とも考えられます。

シェアハウスなどを制度的に実現するには、欧米のような「土地や住宅は公共財」という思想と政策への転換が重要だと、袖井さんは強調します。

戦後日本の住宅政策を概観し、「住宅政策の主な関心は景気浮揚策でした。」住宅は使用価値より資産価値(の位置づけです)。

袖井さんは、ヨーロッパの住宅政策の基本にあるのが、「住宅は医療や年金に並ぶ社会保障の柱という思想です」といいます。「住まいは人権、暮らしの土台」なのです。

1人1室(3)

あのときそれから(平成26年11月15日付朝日新聞)で、「ウサギ小屋」流行語に(1979年)という特集記事を載せています。その中で、「戦後の住宅政策と5カ年計画」という概略年表も載っています。第二期住宅建設五箇年計画では、1968年の住宅数が世帯数を始めて上回った統計に合わせるように、その目標は、「1人1室」の実現に置き換わってきています。これは、前項で指摘しておきましたが、1住宅の中の規模を表したものでした。標準家族(夫婦に2人の子供世帯という核家族型)が、1住宅を構えるときの規模設定です。ここから3LDK(夫婦は同一居室、平均居住水準86㎡)というおなじみの住宅型が好まれて建設されだされたわけです。

 これも戦後一貫した持ち家取得政策の中で、瞬く間にクリアーされました。

 そして、今では、人口減少社会の中で大都市においても「空き家」の発生が問題視されるようになりました。

 平山洋介神戸大学教授は、同特集の中で、「持ち家重視を続けた結果、低家賃の公営住宅が全戸数の4%で、住宅セーフティネットが無い状態。」と指摘しています。

 「1人1室」という目標は、単純な規模の問題ではなく、一人ひとりの個人が、一つの居住空間を保障されているという目標にすべきと考えます。

一世帯一住宅(2)

戦後の住宅政策は、「一世帯一住宅」、「住宅難解消」が重要な政策目標として掲げられてきました。敗戦直後に戦災による420万戸の絶対的住宅不足に陥り、国民の住まいの確保が課題となったわけです。

ところで、「一世帯一住宅」ですが、1966年の第一期住宅建設五箇年計画(1期5計)で目標とされています。「一世帯」とは、家族を単位として捉えるということで、戦前の大家族主義とは異なるものの、親子等の親族を中心とする世帯構成者が一体として、「一住宅」に住まうということを指しています。国勢調査(国調)では、従来普通世帯と準世帯という区分けが用いられていました。準世帯とは、下宿人、間借り人、会社の寮に居住する単身者など同一の場所に住むものの家族ではない集団と定義されていました。現在の国調(1985年)では、一般世帯と施設等の世帯(老人向け施設などへの入居者)とに区分けされ、それまでの準世帯は、単身者も生計を別にしている場合は、単独の世帯、つまり一般世帯として扱われています。

一方、「住宅難」は、①非住宅居住、②同居、③狭小過密居住(九畳未満/世帯、かつ二・五畳未満/人)、④危険・修理不能住宅居住のいづれか1項目該当とされています。

ここで、「住宅」について考えてみることにします。住宅・土地統計調査では、「完全に区画された建物」で、「一つの世帯が独立して家庭生活を営むことができる」ために、「①一つ以上の居室、②専用の台所、③専用のトイレ、④専用の出入り口」を備えていること(公営住宅においては、長いこと専用の浴室が設けられていませんでした)とされています。但し書きで、共用の台所、共用トイレは、他の世帯の居住部分を通らないで使えれば住宅とみなす(これにより、設備共用の木賃アパートが住宅にカウントされている)とされています。寮、寄宿舎、旅館、宿泊所は、住宅とはみなされていません。

「一世帯一住宅」は、1968年の住宅統計調査(住調)で、全国的には達成が確認され、1973年住調で、全都道府県での達成が確認された。また新たな目標となった、「一人一室の規模を有する住宅の建設」も1973年での達成が確認され、1975年の3期5計では、「最低居住水準」の解消が目標として掲げられています。残念ながら、この最後の目標の達成は、いまだに確認されていません。

住宅政策(1)

昨夜、「戦後住宅政策を逆送するシェア居住」という過激な表題につれられて、勉強会に参加してきた。講師は、前田昭彦都留文科大学教授でした。論旨に興味があるようでしたら、新建築技術者集団「建築とまちづくり」誌の2014年4月号「一世帯一住宅の足かせ~シェア居住から考える戦後住宅政策」をお読みください。

まず、「シェア居住」とは、「家族ではない複数の居住者が台所などを共有して一つの家に住む形態を指す」(小林秀樹千葉大学教授)の定義を採用しています。

この「シェア居住」が、日本の住宅政策の中で、例えば「住生活基本計画」の中では、実態把握が十分でないので、まずは調べようとしており、政策的に位置づけられていない証左だとしています。

論点としては、「シェア居住」とは、そもそも非親族の同居であり、戦後住宅政策の目標「一世帯一住宅」に反し、「住宅難世帯」に相当しており、戦後住宅政策に逆行する居住形式であるとしています。

お年を召した参加者から、戦後間もないころに、大きな兵舎跡の建物に、在留の、また引き揚げの日本人家族や朝鮮の方の家族など大勢で住んだ経験が語られていました。また、海外留学経験の若い世代からは、「シェア居住」が一般的な居住形態とも報告がありました。

スタイルは変わってきてはいますが、「シェア居住」は、庶民の間では、連綿とつながる居住形態といえました。そこで、講師は、重要な居住形式であるので、住宅政策上の論理的不整合を正したいという提議がありました。

住まい・家族(4)

袖井孝子さんの講演録(141114しんぶん赤旗)から抜粋させていただきます。袖井さんは、シニア社会学会会長・お茶の水女子大学名誉教授です。

1980年以降、「家族の個人化と個室化が進みました。」90年代からは、未婚や晩婚、離別による単身世帯が増えてきました。「ひとりでも暮らせる住宅と住環境」が課題となっています。高齢の単身世帯が増え、近年問題となっているのが、孤独死・孤立死です。

(そこで)シェアハウスは、高齢者の持ち家がやがて空き家となって放置される問題の一つの解決策とも考えられます。

シェアハウスなどを制度的に実現するには、欧米のような「土地や住宅は公共財」という思想と政策への転換が重要だと、袖井さんは強調します。

戦後日本の住宅政策を概観し、「住宅政策の主な関心は景気浮揚策でした。」住宅は使用価値より資産価値(の位置づけです)。

袖井さんは、ヨーロッパの住宅政策の基本にあるのが、「住宅は医療や年金に並ぶ社会保障の柱という思想です」といいます。「住まいは人権、暮らしの土台」なのです。

1人1室(3)

あのときそれから(平成26年11月15日付朝日新聞)で、「ウサギ小屋」流行語に(1979年)という特集記事を載せています。その中で、「戦後の住宅政策と5カ年計画」という概略年表も載っています。第二期住宅建設五箇年計画では、1968年の住宅数が世帯数を始めて上回った統計に合わせるように、その目標は、「1人1室」の実現に置き換わってきています。これは、前項で指摘しておきましたが、1住宅の中の規模を表したものでした。標準家族(夫婦に2人の子供世帯という核家族型)が、1住宅を構えるときの規模設定です。ここから3LDK(夫婦は同一居室、平均居住水準86㎡)というおなじみの住宅型が好まれて建設されだされたわけです。

 これも戦後一貫した持ち家取得政策の中で、瞬く間にクリアーされました。

 そして、今では、人口減少社会の中で大都市においても「空き家」の発生が問題視されるようになりました。

 平山洋介神戸大学教授は、同特集の中で、「持ち家重視を続けた結果、低家賃の公営住宅が全戸数の4%で、住宅セーフティネットが無い状態。」と指摘しています。

 「1人1室」という目標は、単純な規模の問題ではなく、一人ひとりの個人が、一つの居住空間を保障されているという目標にすべきと考えます。

一世帯一住宅(2)

戦後の住宅政策は、「一世帯一住宅」、「住宅難解消」が重要な政策目標として掲げられてきました。敗戦直後に戦災による420万戸の絶対的住宅不足に陥り、国民の住まいの確保が課題となったわけです。

ところで、「一世帯一住宅」ですが、1966年の第一期住宅建設五箇年計画(1期5計)で目標とされています。「一世帯」とは、家族を単位として捉えるということで、戦前の大家族主義とは異なるものの、親子等の親族を中心とする世帯構成者が一体として、「一住宅」に住まうということを指しています。国勢調査(国調)では、従来普通世帯と準世帯という区分けが用いられていました。準世帯とは、下宿人、間借り人、会社の寮に居住する単身者など同一の場所に住むものの家族ではない集団と定義されていました。現在の国調(1985年)では、一般世帯と施設等の世帯(老人向け施設などへの入居者)とに区分けされ、それまでの準世帯は、単身者も生計を別にしている場合は、単独の世帯、つまり一般世帯として扱われています。

一方、「住宅難」は、①非住宅居住、②同居、③狭小過密居住(九畳未満/世帯、かつ二・五畳未満/人)、④危険・修理不能住宅居住のいづれか1項目該当とされています。

ここで、「住宅」について考えてみることにします。住宅・土地統計調査では、「完全に区画された建物」で、「一つの世帯が独立して家庭生活を営むことができる」ために、「①一つ以上の居室、②専用の台所、③専用のトイレ、④専用の出入り口」を備えていること(公営住宅においては、長いこと専用の浴室が設けられていませんでした)とされています。但し書きで、共用の台所、共用トイレは、他の世帯の居住部分を通らないで使えれば住宅とみなす(これにより、設備共用の木賃アパートが住宅にカウントされている)とされています。寮、寄宿舎、旅館、宿泊所は、住宅とはみなされていません。

「一世帯一住宅」は、1968年の住宅統計調査(住調)で、全国的には達成が確認され、1973年住調で、全都道府県での達成が確認された。また新たな目標となった、「一人一室の規模を有する住宅の建設」も1973年での達成が確認され、1975年の3期5計では、「最低居住水準」の解消が目標として掲げられています。残念ながら、この最後の目標の達成は、いまだに確認されていません。

住宅政策(1)

昨夜、「戦後住宅政策を逆送するシェア居住」という過激な表題につれられて、勉強会に参加してきた。講師は、前田昭彦都留文科大学教授でした。論旨に興味があるようでしたら、新建築技術者集団「建築とまちづくり」誌の2014年4月号「一世帯一住宅の足かせ~シェア居住から考える戦後住宅政策」をお読みください。

まず、「シェア居住」とは、「家族ではない複数の居住者が台所などを共有して一つの家に住む形態を指す」(小林秀樹千葉大学教授)の定義を採用しています。

この「シェア居住」が、日本の住宅政策の中で、例えば「住生活基本計画」の中では、実態把握が十分でないので、まずは調べようとしており、政策的に位置づけられていない証左だとしています。

論点としては、「シェア居住」とは、そもそも非親族の同居であり、戦後住宅政策の目標「一世帯一住宅」に反し、「住宅難世帯」に相当しており、戦後住宅政策に逆行する居住形式であるとしています。

お年を召した参加者から、戦後間もないころに、大きな兵舎跡の建物に、在留の、また引き揚げの日本人家族や朝鮮の方の家族など大勢で住んだ経験が語られていました。また、海外留学経験の若い世代からは、「シェア居住」が一般的な居住形態とも報告がありました。

スタイルは変わってきてはいますが、「シェア居住」は、庶民の間では、連綿とつながる居住形態といえました。そこで、講師は、重要な居住形式であるので、住宅政策上の論理的不整合を正したいという提議がありました。